龍樹中論 読み始める前の準備その2

中論は有部のようには見ないというだけであり、実体論批判では現象世界が実際にどうであるのかは関係ない。形而上世界の言葉の意味を批判しただけ。
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有部は、縁起を因果の時間的継起と見る。
中論は、縁起を相依性(相関関係・相互依存)と見る。時間的な継起の関係とは考えない。

有部は、自性の実在の認識を前提とする。
中論は、空性の条件のもとでの、言語空間での認識を前提とする。

有部は、現象世界を対象範囲とする。
中論は、言葉で構築された概念を対象範囲とする。

有部は、凡夫の見る世界(現象世界)について説く。高踏的というむきもあるが。
中論は、覚者の観た世界について、有部のようには見ないと論ずる。

有部と中論ではそもそも、縁起の捉え方・前提・対象範囲・認識の粒度が異なっている。噛み合っていない。
批判されて。有「そういうこと言ってんじゃネェ」。中「そういうこと言ってんだよ」。
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龍樹の否定論証の形式
空間的時間的な相互依存の関係性における循環的矛盾。
縁起関係において何らかのつながりのある、例えば因と果という、両項の間における、同一性と別異性の矛盾。
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中論は、独立の存在としての時間を認めない。
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行為主体と行為、主体と作用の関係として、不一不異の関係で説明している。
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二つに分けて区別して対立的に捉えている。
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例えば非有・非無のような、二者択一になるはずの対概念をセットで否定。
形式論理学(矛盾律・排中律・同一律)に反している場合がある。
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